司馬遼太郎『竜馬がゆく』(文春文庫/全8巻)

――街道は晴れている。竜馬がゆく。

この小説の最終盤に出てくるこの一文に出会ったとき、ああ司馬先生はこれが描きたかったが故に、この青年の物語を描いたのだな、と思った。読み返すたび、この一文を、それこそスルメのように噛み締めている。

若かりし頃、初めて読んでから幾度となく読み返した小生にとってのカンフル剤のような小説が、司馬遼太郎『竜馬がゆく』である。

坂本竜馬はもちろん、勝海舟、高杉晋作、来島又兵衛、中岡慎太郎、小説的には敵方でもある吉田東洋、と小生が魅力を感じた人物は数知れす。・・・お気付きの方もおられるかと思うが、小生、薩摩は好かん。どうも、立ち回りの巧さというのか、外交の卒のなさといえばいいのか。「いけ好かない」という奴だ。

ただ、寺田屋といえば、竜馬が襲撃された寺田屋事件ではなく、小生にとっては何度読んでも涙する薩摩藩士同士が衝突した寺田屋騒動であるのだが。

男たちの、若者たちのなんと立派なこと。本気で彼らに憧れ、自分がもしあの時代に生き、同様の場面に立った時、自分は腹が切れるのか、と恥ずかしながら真剣に考えたものである。真剣に考えすぎて新撰組に襲撃される夢まで見たことも、実はある。

馬鹿だったな。

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