文豪の作品は、とりあえず読まねばならない。当然のようにそう思っていた若かりし頃、『斜陽』を手にした。
読書をする際、登場人物の誰かしら(作者も含む)に自己投影しながら読む派なのだが、正直、誰にも自己投影できず、共感もできなかった。たとえば「おかあさま」の言動、「私」の主観、「弟」の憤り…。正直に吐露するなら「はぁ、さようでございますか」である。「なんだか大変だな」と。
生きるとは、社会とは、大人とは、などと青臭いことを小難しく考えがちだった頃の小生にして、この一冊は、「まあ、そないに小難しく考えなくても…」と言わしめる作品だったと思う。よくわからないが、それが太宰作品の良さ、なのだろう。
幕末が舞台の時代小説が好きな小生は、武士の立場、公家の立場、幕臣の立場、そして新興のサムライとなった人びとの立場とさまざまな立ち位置に一度立ち、共感したり反感を抱いたりしたものだが、没落貴族はわからなんだなあ。
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